こんにちは。
スタッフの羊ji朗です。
皆さんは『チッパー』というクラブをお使いですか?
私はグリーン周りの寄せがとにかく苦手で、いつも本当に苦労をしています。そんなことで、何とか上手く寄せる方法はないかと打ち方などを調べていたところ、チッパーというクラブの存在を知りました。
チッパーとは、グリーン周りのアプローチ専用に作られたクラブのようです。チッパーを使うのは邪道であるとお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、チッパーはれっきとした正式なゴルフクラブです。
チッパーが最もその効果を発揮するのは、ランニングアプローチの場面のようです。
よく使われるウェッジに比べて、ロフト角が小さく、シャフトが短いという構造的な特徴があります。
つまり、ロフトの部分が地面に対して垂直になりやすくヘッドコントロールが容易なため地面を削るような失敗をなくしてくれます。
でも、プロや上級者の方がこのチッパーを使っているところはあまり見かけませんよね?
その理由は、一言で言うと、使いこなすことが割と簡単なクラブが故に打ち幅がないからのようです。
通常のウェッジはロフト角がチッパーに比べて大きいため、上手くコントロールすることでボールにスピンをかけたり、ピッチエンドランなどいろいろな打ち分けをすることができます。
とはいえ、チッパーは非常に有用なクラブです。
アプローチにまだまだ難のある方はぜひ使ってみて下さい。
私も使い始めましたが、いくら易しいといえどもそんなに簡単にはいきません。やはり練習あるのみですね。
という事で、寒い日でも、風の強い日でも、冷たい雨の日でも快適に練習して頂ける当店を是非ご利用下さいませ。
お待ちしていま~す(^O^)/
こんにちは。
新人スタッフの羊ji朗です。
今日も前回に引き続き日本の名門ゴルフコースについて書いてみたいと思います。
今回は『スリーハンドレッドクラブ(神奈川県)』をご紹介します。
スリーハンドレッドクラブは日本一エクスクルーシブ(排他的)なクラブとして知られています。昭和36年当時、他のクラブが30~40万円で会員を募集したところ、スリーハンドレッドクラブは220万円で会員の募集を開始しました。そのため当時の一般の人には縁のないクラブと認識されてしまったようです。
名前の由来は入会金平均300万、会員定員300人のクラブとしてスタートさせようとしたことからきているようです。現在は390名を上限とし349人が在籍しているようです。
入会条件は非常に厳しく、政治家は首相、外相経験者に限られ、財界人は一部上場企業で50歳以上という条件だったようです。
この入会基準はアメリカの『大統領のゴルフ』の異名を持つ名門バーニングゴルフクラブに倣ったようです。
コースは丘陵地にあり、松林に囲まれた勾配の厳しいのが特徴のようです。開場時よりかなり樹木も成長し趣に変化はあるよですが、その景観もまた格別のようです。
現在、入会待ちは100人以上いると言われています。
プレーフィーは5万円超。
そして、会員権の相場はなんと7000万~8000万と言われています。
桁が2つ違いますよね。
ゴルフが趣味の安倍総理も年に何度かこのコースでプレーをされているようです。
新年明けましておめでとうございます。
昨年も大変お世話になり、ありがとうございました。
今年も皆様のゴルフライフの選択肢の一つに当施設を加えて頂くことができます様、
努力してまいります。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
本年は2日から通常営業を致します。
ご来店のお客様には『おとし球』(数量限定)をご用意してお待ちしております。
また、近日スクールの開校を予定しています。
詳細が決まりましたらご案内をさせて頂きます。
こちらについてもどうぞよろしくお願い致します。
皆様にとって良いお年でありますように...
こんにちは。
新人スタッフの羊ji朗です。
今日も前回に引き続き日本にある名門コースについて書いてみたいと思います。
今回は『廣野ゴルフ倶楽部(兵庫県)』をご紹介します。
廣野ゴルフ倶楽部は日本の名門ゴルフコースの中でも、最も世界的に評価されているコースだと言えるでしょう。
その理由は、かつてアメリカのゴルフ雑誌「ゴルフマガジン」に世界のトップコース100選の7位にランクインしていたことからも明らかです。
この時、他には川奈ホテルゴルフコース富士コースが51位、東京ゴルフ倶楽部朝霧コースが86位にランクインしているのですが、なんとこの3コースとも前回名前が出ましたC・H・アリソンの設計だそうです。
廣野ゴルフ倶楽部は多彩な表現を可能にする用地と、それを上手く活かすことのできるアリソンという設計者に恵まれたコースと言えそうです。
当時、アリソンは師であるH・S・コルトに代わって、東京ゴルフ倶楽部の朝霧コースを設計中だったのですが、その来日を機に廣野ゴルフ倶楽部はコースの設計をアリソンに依頼しています。現地で実際の用地を見て、その魅力に引き込まれたアリソンは、ホテルに4日間籠ってあっという間に設計図を書き上げたと言われています。
コースはフラットな中にも、優美さやダイナミックさを持つのが特徴です。グリーン周りには例の深いバンカー「アリソンバンカー」が設置されており、美しくも難しいコースになっているようです。
“play golf at Hirono die” (廣野を見て死ね)
ゴルファーの間では有名な言葉のようで、
初心者ゴルファーの私も、早速携帯にメモりました。
こんにちは。
新人スタッフの羊ji朗です。
今日も前回に引き続き、日本の名門ゴルフコースについて書いてみたいと思います。
今回は『東京ゴルフ倶楽部』をご紹介したいと思います。
日本で一番最初にゴルフを始めたのは誰か?
この問いに対しては、明治29年、当時ロンドンのグリニッジ海軍大学に留学中であった水谷淑彦が近くのブラックヒースで行ったのが始まりであるというのが定説でしたが、この定説に異論を唱えたのが東京ゴルフ倶楽部の資料室です。
日本の生糸貿易商のパイオニア新井領一郎が最初であると言うのが彼らの主張です。新井領一郎は、明治9年頃からニューヨークに移り住み、1898年頃にはゴルフを始めていたそうです。新井は、ニューヨークで在米邦人と親睦を深め、ゴルフの魅力を広めていきました。
新井にゴルフの魅力を教えられた人々は、帰国後もその魅力が忘れられず、東京にもゴルフコースを造ろうと有志を募ったのが、東京ゴルフ倶楽部の始まりのようです。
最初は東京の駒沢でスタートした様ですが、その後土地の問題で埼玉県朝霧市に移っています。この朝霧の設計者があの有名なC・H・アリソンです。深くて顎の高いバンカーのことを指すアリソンバンカーでも有名ですよね。
そしてこの時、日本で初めて常緑の洋芝が施されたとのこと。
その後戦争下の影響で国に譲渡してしまったため、当時造成中の秩父カントリー(埼玉県狭山市)と合併し東京ゴルフ倶楽部狭山コースとして再生された様です。
コースは林間コースで自然に緩やかな起伏を持つことが特徴です。この起伏が戦略性に大きな幅を生んでおり、加えて、深いバンカー(アリソンバンカー)や砲台グリーンの攻略には高い技術が必要とされます。
日本オープンも過去に何度か開催されており、2013年には設立100周年を迎えた歴史と権威のある名門中の名門と言っても過言ではないでしょう。
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